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『愛してる』の履き違え

 

世界共通で、『愛してる』という表現は、『好き』の最上級のように使われています。

 

Like(好き)は軽い気持ち、Love(愛してる)は本命とする心情は、言語や文化が違っても大差ありません。

 

恋愛や親子関係においては、特別感を演出するパワーワードになっています。

 

 

でも、私たちの素=光の存在は、最初から、常に、全てを愛しています。

 

人間意識の頭では理解できなくても、全てを愛している土台から、『好き』や『嫌い』に偏る体験を味わっていたのです。

 

 

神魂の天魂あたまで観ると、『好き(な対象)』を賞賛し、『嫌い(な対象)』を批判するのは、単なる一人遊びだったと気づきます。

 

一人遊びに、良いも悪いもありません。

 

 

光は同時双方向に動くので、全てを愛していると、同時に、全てから愛されています。 

 

それは、光の性質ですから、個人の都合に左右されません。

 

 

空間に愛されていないモノが、この世に存在できるでしょうか。

 

生きている=愛されていることを理解すると、ただ存在していることに、どれほどの愛を授かっているかがわかります。

 

 

今の状態や状況を嘆き、苦しみに埋没していると、意識が閉じた状態になり、天意からの愛を授かることができません。

 

 

疑うのは自由ですが、それは、惜しみなく注がれている愛(天意)を遮断する行為です。

 

また、信じようとすると、期待や理想で視界が曇るので、ただ認めるで充分です。

 

 

おしまいに、世界共通で『神』を信じるがゆえに、いつの時代も宗教間の闘争が絶えませんが、

 

「元々、全員 神である」と認めるなら、誰とも争いようがなく、権威による特別感を演出するパワーワードになっているのがわかります。