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意氣る(生きる)

 

10年近く、笑顔の写真家として活動させて頂きましたが、写真家になりたいなんて思ったことは、一度もありませんでした。

 

物心ついてから写真が嫌いでしたし、続けるつもりもなかったので、毎回「これが最後」と、常に全力でした。

(なぜか、「手を抜く」という発想は皆無でした)

 

 

最初は、言葉を超えた、身体の内奥から溢れる喜びから、居ても立っても居られなくて、

 

現地に飛んで、皆と一緒に過ごすだけで満ち足りて、そこに写真は介入していませんでした。

 

 

一緒に過ごすなかで、笑顔の輝きが最高に美しく、生きる力を思い出させてくれた彼らへ お礼として渡したのが、

 

本人たちが一番喜んでくれた写真でした。

 

 

訪問した施設には、世界各地から寄付品が豊富に集まっており、倉庫に山積みになっていました。

 

「良かれ」と送られてきた物品の多くが、使われていない のです。

 

 

日本国内での寄付にも通じますが、なんでもかんでも寄付すればいいってものではありません。

 

相手の必要や喜びに気づいて、それを渡す。

 

それが『贈り物』です。

 

 

これを「やめない」でいたら、いつの間にか、笑顔の写真家になっていました。

 

写真家と言っても、取材時に便利だから使っていただけで、殆ど自腹で動いていました。

 

 

ですが、面白いことに、様々なルートでお金が入ってきたり、現地訪問の機会が巡ってくるのです。

 

初めましての土地で、言葉が殆ど通じないのに、放浪者同然のわたしを、どの国の、どの神々も、温かく迎え入れてくださいました。

 

 

何から何まで、びっくりぽんだったので、「この展開は、なんなの?」という問いが起きて、見えない領域へと、視界が広がっていきました。

 

写真家としての活動が、宇宙の采配を感じずにはいられない運びであったのです。

 

 

生きるとは、息をすることです。

 

医学的にも、息をしていないと、死んだモノと認定されます。

 

 

肉体は、息をしないと苦しいですよね。

 

それと同じで、意氣を発揮しないなら、カラダが苦しくなるのは自然なことです。