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弥栄なる母(おも)い

 

先達ブログを拝読しながら、弥栄の共振が広がっているのが伝わってきて、「他者の活躍が、こんなにも嬉しい!」と観じられたことで、「これが全母のおもだ」という理解が起きました。

 

 

周囲が豊かになっていくのを観察するのが嬉しい。

 

他者の活躍を観察するのが楽しい。

 

 

これは100% 内なる神々の本音であり、個人の思いではありません。

 

徹底していると、内なる神々と個人の境目が わからなくなってきて、溶け合ってしまうので、分析できなくなります。

 

分析できないのですから、エゴの出番はありません。

 

 

そうなると、言葉にならない祝いの音が、泉の如く、身体を通して、空間に放出されていきます。

 

音といっても、微細で軽やかなバイブレーションなので、聴覚ではキャッチできません。

 

耳ではなく、全身で聴くと、その音を観じることができます。

 

 

空間全体が、全ての母である虚空のおもに溢れています。

 

感謝も、祝福も、慈愛も、歓喜も、空間全体に満ちています。

 

 

全母は、いつだって、

 

私たちが存在していることに 感謝しています。

 

私たちが存在していることを 祝福しています。

 

私たちが存在していることを 喜んでいます。

 

私たちの存在そのものを 愛しています。

 

永遠無限ですから、常に、今の今、私たちに授けてくださいます。

 

 

それを認めて、

 

全面的に、積極的に、それそのものになって生きていく

  

 

今この瞬間に、神の質と一つになって、空間全体に溢れている弥栄なる母いを受け取って、放出していきましょう!

 

なによりも、継続していくことを忘れずに。

 

 

ここで、体験談をひとつ。

 

これまで、数は少ないですが、過去世の因縁を強く感じる相手との出逢いがありました。

 

強烈に苦手意識が働くものの、放っておけない存在で、自分の中の矛盾が 苦しく感じることもありました。

 

 

その最たる相手が同居中の母です。

 

懸命に育ててくれて、恩義しかないと思いつつも、これまで出逢ってきた誰よりも萎縮する相手です。

 

幼少の頃から大人になっても、彼女の顔色を伺い、怒られないように、必死に表面を繕っていました。

 

 

しかし、霊的に成長すると決めてから、その関係性にヒビが入りました。

 

そこからは、抑圧された軋轢を解体するべく、格闘しているような時期もありましたし、頭を下げ続けた時期もありました。

 

 

でも、全身全霊で向き合っていると、一見バトルに見える光景が「やっとコミュニケーションがとれた」という喜びになるのです。

 

ですから、カタチだけで判断するのは野暮としか言いようがありません。

 

 

その母に対して、「慈愛の眼で観て、感謝と祝福を送る」態度に変わった時、相手の言動も態度も一変しました。

 

感謝と祝福でもって 積極的に向き合うことで、母も『和する魂』に変わってしまったのです。

 

過去の因縁も、今この瞬間に変えられる実例として、参考にしてください。