《どれでもOK、どれも素晴らしい》が板につき、特に思い入れなく過ごしている中で、ふとした巡り合わせに『好き』の感情が噴き出して、昇華の機会を頂きました。
もう随分と「好き」も「嫌い」も音沙汰なく、積極的に求めることもなかったので、思いも寄りませんでした。
昔の思い人に残していた感情の昇華は、記憶の中だけなので、すんなり相手の幸せを祝う愛おしさに移行しました。
でも、現在進行形で浮上する感情は、全身細胞の癖も相まって、全身の反応として表れますから、振れ幅がまったく違います。
エゴの昇華のプロセスにおいて、忌み嫌う感情がクローズアップされがちですが、『好き』という甘く麗しい感情は、ドキドキ(興奮)するし、陶酔できるから、そう簡単には手放したくないものです。
人間意識から見れば、そんなオイシイ感情を送り出すなんて、やりたくないでしょう。
好きになると、所有欲から対象の獲得に奔走します。
(推しの追っかけやグッズ収集も同じこと)
それはそれで貴重な体験です。
ただ、人間意識を卒業すると、対象へのアプローチではなく、自我の癖を解く方へと動きます。
『好き』の感情から離れて、感謝と祝福で送り出す。
『好き』は素晴らしい感情です、同時に、『嫌い』も素晴らしい感情です。
そのどちらも「それでよし」と認めていると、感情格差がなくなります。
人類総出で『好き』を追い求め、多くを所有し、力を誇示してきましたから、おいそれとはいかないかもしれません。
それでも、地道に、『好き』も『嫌い』も等しく感謝して祝っていると、特別・差別がなくなって、どれも愛おしい感覚が育まれていきます。
その和らぎと温もりで、どなた様とも、共に在る喜びを分かち合う。
それがベースとなった人づきあいなら、誰とも敵対しませんし、自ずと和が育まれます。
互いに親しみを投げかけていると、言葉が通じなくても和やかで温かい関わりが成立します。
これは、諸外国の皆さまや、障がい福祉の現場で学んだ事実です。