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壁はない

 

このところ、記事の更新が進まないのは、書き出す度によぎる違和感によるもの。

 

日々気づきの連続だし、時間はたっぷりあるし、記事作成に取り組むものの、数行目で「何かが違う」と筆が止まり、削除するの繰り返し。

 

 

「ブログ自体を見直せということか?」とも思ったけれど、

 

先達から受け継ぎ、体験による理解に基づいた天の意志を広げていくのに、インターネットを活用した配信は、悠に個の限界を超えてくれますから、ブログの公開は継続します。

 

 

「じゃぁ、なんで筆が進まない?」と自問したところ、お笑い番組の『一般人の壁を越えろ』というタイトルが浮かび、

 

この『一般人』は、芸能人や著名人特有の偏見であり、「一般人の壁なんてない」という基本に立ち返り、筆が進み出しました。

 

 

本来のスピリチャルは、全員共通の「生命の基本」ですが、巷で賑わっている殆どが、脚色や演出による『見えない壁』が構築されています。

 

それは、『神』の壁だったり、『覚醒』の壁だったり、『悟り』の壁だったり、『霊』の壁だったり、『未知』の壁だったり。

 

 

この壁とは『偏見』のこと。

 

偏見を通して発信する場合もあれば、偏見を通して受信する場合もありますが、同質のものが引き合うので、どっちもどっちです。

 

 

私事ですが、引越しを控えて、断捨離モードなのが食事にも影響して、手軽に済ませることが増えました。

 

すると、疑似体験でエネルギーを補給するかのように、連日、フードファイターと呼ばれる方々の大食い動画を見るようになり、

 

その中にあった オタク要素全開のナレーションから、『神』の偏見を解くヒントを頂きました。

 

 

この方は、お店に対するリスペクトの気持ちを『神』で表現されていて、ほぼ全ての動画で『神』が使われており、

 

大盤振る舞い大盛り提供店のみならず、普段から食べているレトルト食品にも『神』を引用しておられ、

 

彼にとって『神=尊敬と感謝』であり、『神』のカジュアル使いを地でいく姿勢からは、神に対する偏見は感じられませんでした。

 

 

全知全能の神に、カテゴリーの壁があるはずもなく、日常の全てが『神』なんです。

 

ここでは、オタク要素全開の大食い動画のナレーションに、『尊敬と感謝=神』を観た。只、それだけです。

 

 

これくらいカジュアルに、フラットに、何にでも『神』を観ることができます。

 

なぜなら、全ての存在が 尊敬と感謝に値するからです。

 

見えない壁を作っているのは、他の誰でもない自分自身ですし、壁を崩すのも、他の誰でもない自分自身です。