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味わい豊かな新世界

 

その昔、専門店を渡り歩き、豆の産地や鮮度、器具や抽出方法など『美味しいコーヒー』の探求に こだわっていた時期がありました。

 

それが、不食による味覚のゼロを経てみると、スーパーで売られているコーヒーを「美味しい」と感じるようになりました。

 

コーヒーの味わいを最大限に引き出すノウハウのおかげもありますが、ゼロに立つと、どちらにも優劣はなく、「同等に素晴らしい味わい」と認識し、「スーパーのコーヒー豆は、豆質も鮮度も劣悪だから不味い」という思い込みの解放が実感できた出来事でした。

 

『専門店の新鮮で高額なコーヒーが、必ずしも美味しいとは限らない』体験もしていますが、これも味覚の偏り=嗜好の成せる技です。

 

何を食べても「美味しい」と感じる人の味覚を『バカ舌』と呼ぶことがありますが、これは味覚に好き嫌いがない=偏りがないのですから、どれも素晴らしい弥栄な舌と言えましょう。

 

 

お次は、骨と筋肉による弥栄な発見をご紹介します。

 

新しい住居に引越しした直後、突如発症した肩の痛みに耐え切れず、近くの整骨院に駆け込みました。

 

勧められるままに骨格矯正の回数券を購入したものの、途中で通院出来なくなるハプニングがありましたが、自然と痛みは引いたため治療の必要はないけれど、可動域を広げる補助にと、回数券の消化通院を再開しました。

 

そこで気づいたのは、スタッフ全員に共通して「良かれ」の圧による施術が行なわれていること。

 

そして、不食が後押しとなった体力のゼロを経た後では、施術を提供する側の「悪い所を改善するサポートをしたい」念力が、固い箇所を攻める力技になっている気づきと一緒に、そのやり方を責めるエゴが炙り出されました。

 

「そんなに強くやったら、緊張して疲れちゃう」という囁きに、相手を批判するエゴを見つけたのです。

 

治療に携わる者なら常識とも言えるような立派な心意気ですが、施術する側も、される側も、余計な力が入るため、双方に疲労感が出ます。

 

時に、される側の疲労感は好転反応と呼ばれ、当たり前の反応として知られているけれど、「その必要あるのかな?」と問うと、自然治癒力が最も発揮されるのは、全身が緩んでいる状態・抵抗のない状態ですから、意識も身体も緊張する必要はないのです。

 

 

気づきが起こると、十中八九、芋ずる式にエゴが炙り出されます。

 

エゴの主張に付随した感情に寄り添うように、そのままを認めて、実感していく。

 

気づきは、新しい発見と同時に、エゴを祝う機会でもあるのです。

 

 

でも、ジャッジしないと気が済まないエゴには受け入れ難いので、少しでも反論したくなったら、それがエゴです。

 

これまでは、生き抜く術として必要だったエゴの主張なのだから、これまでの働きに感謝して、快く送り出しましょう。

 

 

おしまいに、豊かさとは多様性であり、「どれも全て素晴らしい」と認め、敬い、祝い合うのが、新時代の豊かな世界です。

 

それまで嫌ってきた全身が萎縮する感覚を、歓びで味わう豊かさを知るのは、新世界のスタンダードです。