ふと、写真家時代に味わった全身が歓喜でいっぱいの感覚が思い出され、
「そういや、目の前にある笑顔が、ただ、ただ、嬉しくて、愛おしくて たまらなかったなぁ」
と、初心が舞い戻ってきました。
お声がけ頂いた場所に飛んでいくスタイルだったので、国であれ、人であれ、特別枠はございません。
みなさん、こぞって初対面ですから、特別な思い入れもございません。
一緒に居れば、楽しいエピソードも しんどいエピソードも生じますが、なんでだか、互いに微笑むだけで、全部チャラになっていました。
被写体の輝きが最高のおもてなしであり、それだけで「そこに来た」甲斐があったというもの。
どんなに窮地に見える土地柄であっても、そこには笑顔がありました。
思わず こぼれる笑顔に、無限の生命力を感じてきました。
それそのものに満足していたので、自分が前面に出て輝くことなど考えたこともなかったですし、
展示会やら新聞に掲載されたりして、表に出る流れになった時は、驚きしかありませんでした。
そうなんです。大事なことを忘れるとこでした。
人間には認識できないだけで、闇と思われるところにも光が充満しているように、
人目の届かない深海には、生命の輝きがひしめき合っているように(深海生物の8割以上が発光するんですって)、
存在そのものが光輝いているのだから、表立って輝く(目立つ)必要なんてないんです。
そして、「私は裏がいいから、表には出たくない」と決めつけるのもナンセンス。
天意からの表に立つ役割があれば、自ずと前に押し出されますから、
シャカリキになって自分が前に出ようとする必要もないし、表に出る機会をシャットアウトする必要もありません。
どちらでもOKというスタンスなら、その時々で、自主的に喜びから自由に選択できます。
表に立つと、自分が活躍していると思いがちですが、他が輝く歓びを知っている周囲のサポートが土台になっていることをお忘れなく。
そんな天意に気づいていくと、あらゆる場面において、周囲に向かって感謝と祝福せずにはいられなくなります。