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内なる神々の躍動

 

このところ、次から次へと記事が生まれるので、意図せず、連日更新になっています。

 

というのも、

 

見るもの、聴くもの、嗅ぐもの、味わうもの、触れるモノ、感じるもの、日常の全ての瞬間が気づきにつながっていて、

 

内なる神々が躍動している光の働きが活発だから、どんどん発想が湧いてきて、入力する手が止まらないのです。

 

 

『記事の作成』ひとつとっても、様々な神の働きを観じます。

 

きっかけの提供、発見の記録、情報収集、言葉の選択と配置、入力作業、全体の構成チェック、画像の選択、、、

 

公開するまでに、どれほどの神々が活躍しているか。

 

 

これだけでなく、生まれてから これまで「自分がやっている」と思っていた全ては、実は、神々の働きでしたし、

 

これからも、ずっと、神々の躍動によって、進化発展していくのです。

 

 

吾に起きている神働きに感謝していると、

 

記事を公開できる場に、それ提供する運営会社及びスタッフに、更にその奥にも無数の神働きが観えるようになり、

 

空間全体に神を観るようになります。

 

 

変容のプロセスにおいて、最初は おっかなびっくりでも、恐怖を受容する過程で「もうダメだ」と絶望感に苛まれようとも、

 

疑いを持ち込まず、責任転嫁せず、全て自分で選んでいる自覚を持って、我流に逸れずに精進していくと、

 

 

個人の力ではない、大いなる加護というか、空間に守られている感じというか、

 

ちょっとやそっとじゃブレない空間全体との氣綱が育まれ、生命力が湧いてくるのです。

 

 

それが全身全霊で腑に落ちると、先達のメッセージが何を言わんとしているのか明確に理解できます。

  

体幹で理解していると、「その表現は、この感覚を表現している」と体感で呼応するようになります。

 

 

言葉の意味だけを追っていると、偏見が先に立ち、お門違いな解釈になります。

 

ですから、同じ文章を読んでも、

 

一般常識ので読むのと、神の視点による天魂あたまで読むのとでは、受け取る内容が変わってきます。

 

 

これは、セミナー・瞑想会・神儀の最中や直後には、わからなかった感覚です。

 

学校の勉強もそうですが、習った ≠ 理解した なのは、おわかりかと思います。

 

習ったら、そこからがスタートです。

 

 

私が信頼している先達は、皆、セミナーでも、セッションでも、安価な値段には設定していません。

 

それは、本人の覚悟が必要だから。

 

全身全霊で取り組むと決めたことに、数万円を出すのを躊躇して「本氣の覚悟」と言えますか?

 

 

実体験でもあるのですが、手元にお金がなかったとしても、本氣の覚悟があるなら、頭を下げて借りることだって出来ます。

 

先方に返済する意志が伝われば、快く貸してくれます。

 

「そんなことしたくない」なら、口先だけの覚悟ですから、「自分は何がしたいのか」を見直す機会になります。

 

 

昔の私がそうだったように、大多数の方が、疑惑・怪訝の目を向けると思います。

 

しかし、真剣に、素直に、地道にやっていると、真意が理解できます。

 

そのひとつが、托鉢のように「ケチる心」を炙り出し、「喜んで差し出す(豊かさの循環を後押しする)」機会です。

 

 

ここは貧しい者を救う場では ありません。

 

豊かな者が 全体総和の進化発展に奉仕する 意志氣と御神体を祝う場です。

 

 

最初から人型生命体は豊かな存在なので、もれなく全員対象です。

 

しかし、「自分は貧しい」と決めつけている者とは、ご縁が結ばれることはありません。

 

 

もちろん、何を選んでも自由ですが、やたらとディスカウントしているものはお勧めしません。

 

それは天意の巡りを理解していない証拠だから。

 

高けりゃいいってものではないけれど、内容の質によっては妥当なので、一概に言えません。

 

その見極めは、ご自身の本質を観る感性を養いましょう。

 

 

慎重になる必要はないけれど、どんなことも引き受ける覚悟は必要です。

 

ちょっとでも感覚を掴んだなら、どんな理由があろうとも、サボって欲しくありません。

 

どんな正論も、言い訳の100%が個人の都合だからです。

 

 

うち』は『宇知うちに変換され、

 

内=宇宙の知であると、そっと提示されました。

 

 

『歓喜』は『換氣』に変換され、

 

氣が常に交換している(汚れた気を出して、新しい気を入れる)と、神々の躍動をダイレクトに観じられます。

 

 

今回は、内なる神々の声を代筆している感じで書いてます。

 

この溢れんばかりの歓喜を どうしても表現したいと、背中を押す勢いが凄いです(笑)