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先入観を持ち込まない

 

交番勤務のお巡りさんを描いたドラマをきっかけに、元刑事さんの動画を拝見していたら、被疑者(犯罪の疑いを受けている者)の取り調べの際に、意識していること・臨む姿勢について語る回がありました。

 

 まずは、「人は、罪人になるために生まれてきたわけではない。誰もが最初は真人間である」という前提で、話を聞くそうです。

 

たとえ凶悪犯であっても、取り調べには 先入観を持ち込まない姿勢から、「普通の警察官は、分け隔てなく中立でいる」という事実に、社会生活で当たり前のように公の任務を遂行されている『公務員』から、スピリチャルの基本を観察できた歓びに全身が震えました。

  

 

被疑者を確保するのは「見えている ほんの一部」であり、それをするには、裁判所からの令状が必要ですから、個人の出番はありません。

 

捜査や鑑識に、先入観や個人の感情は、一切 持ち込みません。

 

このことから、パンデミックにおいて一時期出回った「自粛警察」という造語は、本来の警察を完全に無視していることがわかります。

 

 

公務員に神を観る流れから、「医者やヒーラーという、病を治す・癒す業務に携わる者」の視点に注目しました。

 

多くの医者は、患者として診ていますし、ヒーラーやセラピストも然りです。

 

病んでいる・傷ついている、不完全である前提で、相手と向き合う方が殆どです。

 

しかし、前出の元刑事さんの視点を用いると、「人は、病人になるために生まれてきたわけではない。誰もが元から自然治癒力が備わっている元気いっぱいの真人間」として向き合うので、まったく異なるアプローチが生まれます。

 

 

さて、ここで質問です。

 

何かにつけて嫌われがちな警察官、救世主ばりに崇められがちな医者中立に観る神の視点で、目の前の人と向き合っているのは、どっち?

 

答えは、既に書いてあるので、ご自身で見つけてください。

 

 

令和のパンデミックによって、絶対君主だった医療体制が崩壊しつつあります。

 

乳歯が抜ける前兆で、歯がグラグラするのは、その奥に潜んでいる成人の歯が押し出しているからですが、今起きている社会的グラグラ状態は、それと同じ構造だとわかれば、けしてマイナスやネガティブではありません。

 

 

そして、更にわかったことは、何かを特別視しているなら、意識が覚めることはありません。

 

「悟り」や「覚醒」など、マインドに映えるスピリチャルに傾倒されている方には、耳が痛いのでは。

 

 

『元々の自ら』に覚醒した分神として、全体貢献する意志が明確であるならば、カタチへの偏見やこだわりは消失します。

 

『幸せ』『生きる歓び』に、条件を持ち込みません。