· 

『元気を出す』の履き違え

 

「元気いっぱい」と聞くと、どのような状態をイメージされるでしょうか?

 

飛び跳ねたり、走り回る姿だったり、明るくてエネルギーが有り余っている感じでしょうか。

 

そこにも『元気』の要素が含まれますが、本来の『元気を出す』とは、陽のエネルギーに偏ることではありません。

 

 

私たちの『元(素)』は『光』です。

 

マクロの実の世界では、『出す=放出する』ですが、ミクロの氣の世界では、『実感する=放出する』です。

 

 

宇宙の創造システムである氣実が世にならって、本来のに置き換えて、

 

元氣を出す光を実感する

 

これが本来の姿です。

 

 

光の本質は、感謝・祝福・歓喜・慈愛ですから、

 

元氣を出す = 感謝を実感する、祝福を実感する、歓喜を実感する、慈愛を実感する

 

 

これを実行していると、「元氣を出す」は内面が充実している状態となり、一般的な「元気を出す」とは一味違うものになります。

 

 

全てに感謝を実感していると、元氣いっぱいになり、

 

和やかに生きている祝福と歓喜を実感していると、元氣が満ち溢れ、

 

静かな慈愛の温もりを実感していると、幸せいっぱいになります。

 

 

そして、内面の氣が満ちていると、体力がついてきます。

 

体力とは、回復力であり、免疫力であり、自然治癒力です。

 

 

以前は、有識者や専門家の情報を信じてきました。

 

しかし、どうにも合点がいかない提示が続くと、自然と「根本が違うのでは?」と気づいてしまいます。

 

ネット広告の過剰な歪みを見せられると、自然と本質からズレている情報に気づいてしまいます。

 

 

こんなにも、社会全体で あからさまに歪みが強調されていると、権威の言いなりでは 埒が明かないと気づいて、

 

「一旦、白紙(ゼロ)に戻さないと、健全な在り方が観えてこない」と感じ取る方が少なくないように思います。

 

 

権威に圧し潰されながらも、地道に研鑽されている専門家はおられます。

 

人目が届かない縁の下の力持ちは、どの分野にも存在しますし、その陰働きが全体の進化を支えていることをお忘れなく。

 

 

たとえ専門知識がなくても、下々意識から脱皮すると、権力まかせにしませんし、責任転嫁もしません。

 

「それ」は「それ」と認めて、自らが出来る仕事を見出します。

 

人間社会から理不尽だと思えるような圧がかかっても、天意の仕事は、地味に静かに弥栄を奏でます。