自我の枠から出て、全体意識でいられるようになっても、
他者の成功や繁栄を喜ぶ
他者の幸せを祈る
それが100%純粋に、心の底から祝えるようでないなら、結局は、何も変わりません。
なぜなら、「全体総和で栄えていく」意志が私達の本質だから。
嫉妬を誤魔化しながら、他者の幸せを喜ぶ
「良かれ」で祈る
それは自我の延長であるのは、他でもない自分自身が一番よくわかっているはずです。
心の底より深い、骨の髄から他者を祝えないなら、本質である神魂と同化していません。
これは、頭で考えてもわかると思います。
人間として、他者を人間と見ると、条件で見る癖がついているので、素直に喜べないけれど、
神として、他者に神を観るなら、他者を喜ぶのは拍子抜けするほど簡単です。
神魂(愛の意識)でみると、他者の幸せや成功を そのまま認めることができるから。
全体意識になる覚醒をしても、そこで終わってしまったら、宙ぶらりんになりませんか?
気づいている状態をキープするだけで、満ち足りた至福を感じられますか?
ニュートラルは、どの方向にも動ける中立な状態です。
ですから、ニュートラルな状態から、神魂としての意志の発動が重要なのです。
肉体とともにあるから、意識も成長できます。
私達が肉体を授かり、この地球に誕生したのは「成長したいから」
これは「なぜ、生まれてきたのか」を自問し、内観していくと、誰にでも理解できます。