タイトルは、先達ブログで拝見したもので、
「その通り。本当にそうだよなぁ」と、つくづくと、しみじみと感じております。
お祝いしたくなるような現象が起きても、起きなくても、
落ち込みたくなるような現象が起きても、起きなくても、
『今』に在る全てを寿ぐ。
※ 寿ぐ・・・お祝いや喜びの言葉を述べる。
個人的に都合が悪いと思う現象が起きた時の自身の反応を見れば、全てを慈しみ、全てを祝う意識であるかどうかは明白です。
その感覚を誤魔化すことは出来ませんから。
祝えないのが悪いわけではないし、慈しめないと嘆く必要もありません。
祝えない自分、慈しめない自分に「これまで全力で頑張ってくれて ありがとう」と感謝していく。
一度や二度で わからなくても、地道に丁寧に行なっていくと、あらゆる局面において、祝い慈しむ感覚が深まっていきます。
これが霊的な成長であり、神としての自覚です。
どうですか?
「世間的に優位な状況が引き寄せられないのなら、そんなことやりたくない」ですか?
履き違えないで頂きたいのは、人間プログラムの我慢とは違います。
全てを祝い、慈しむ感覚が『今を寿ぐ』ことであり、『豊かさ』センスが磨かれて、
ありとあらゆる局面において、「豊かさ」を観じるようになり、そこから、寿ぎの今がリニューアルされていきます。
少し前までは、人間にとって魅力的なネーミングや表現が「スピリチャルの道」を知るきっかけとして、一役買ってくれていましたが、
あくまでも「きっかけ」にすぎないので、道を知ったなら、歩むのは自分自身である自覚を持ち、一人静かに歩まねばなりません。
でも、それは「神々と共に在る」自覚が伴い、理解が深まると「空間全部が自分」の感覚が育まれていくため、孤立感はありません。
それに個人でやる仕事ではないので、必要に応じて他者のサポートを頂きながら、自らも発信していると、全体で循環しているのがわかります。