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人体は全知全能 ~天岩戸開きに学ぶ~

 

《人体は小宇宙》と言いますが、宇宙(マクロ)も素粒子(ミクロ)もフラクタル構造(自己相似性)になっているのを知れば、これは誇張表現ではなく、いたって普通の事です。

 

その知識が後押しとなり、先達方が読み解いてくださる『古事記』の天の岩戸開きは、「人体(神体)の話」だと気づきました。

 

荒くれ者のスサノオは『エゴ』であり、普く照らすアマテラスは『本質・真』であり、隠れたアマテラスを岩戸から出る知恵を授けたオモイカネも、鍛冶のアマツマラも、鏡を作ったイシコリドメも、踊ったアメノウズメも、重い岩戸を開けて、アマテラスを外に引き出したアメノタヂカラオも、人型生命体に備わっている能力の象徴なのだと。

 

元々、エゴから生まれたものですし、晩年のスサノオは「光に還った」後の働きと観ると、人間意識から神魂へと蘇る人型生命体の真化を示唆しています。

 

 

それに、天岩戸開きで行われている神々の絶妙なチームワークは、体内の臓器や細胞の働きに現れています。

 

自身の体内では、互いに連携し合うチームワークが営まれているのを知ると、『個人が頑張る』のは、和を乱す行為になるのがわかります。

 

一見、役立つように見える「良かれ」の押し付けは、エゴの主張ですし。

 

 

特に優秀でなくても、人は多才な生命体です。

 

身体一つで、読み・書き・歌う・踊る・歩くが出来ます。

 

更に、イメージや道具を使って、絵を描く・料理する・物を造るが出来ます。

 

これだけでも、 全知全能の御神体と共に在るから実現可能な所作・創作ですし、何も出来ないように見える寝たきりの人は、個の思惑を超えて、周囲の人々の才能を開花させる能力を発揮しています。

 

これは、私自身が介護によって、多岐に渡る関連組織やスタッフさんの素晴らしい働きを知り、連携プレーの中継且つ調整役を担う才能が開いた実体験による気づきです。

 

たとえ、身体の一部が欠落しても、機能が低下しても、本人の自覚がなくても、『生きている』と何かしらの才能を発揮しているのです。

 

 

個(エゴ)の働きには限界があるのは、単独行動だった笑顔の写真家活動で熟知しています。

 

自然隆起同然に生まれた活動だったため、個人的な目標もないし、営業も一切しませんでしたが、周囲からのアプローチやサポートによって、活動の奥行きが広がって、その天地自然の織り成す運びの中で、私は「存在させられていた」からです。

 

現在も、先達方の働きはもちろんのこと、ショッピングモールで働いている方々や、ほんの一瞬の関わりで去来していくお客様も、また、社会的にアウトとされる状況にあっても、適宜、対応してくださる方々も、あらゆる全ての神々が霊的成長のサポートをしてくださっているので、周囲の働きに感謝と祝福しかありません。

 

 

ひとつ問いますが、社会的にアウトとされる状況に置かれるなんて、イヤですか?

 

だとしたら、中立な全体意識とは何なのか、無条件の愛とは何なのか、普く照らすとは、どういうことなのか考えてみてください。

 

 

私の半世紀人生を振り返ると、エゴで頑張ってきた働き詰め期間と、天地自然の運びに任せて実行する期間に分かれており、後者が圧倒的に長いですが、その分断も融合する時が来たようです。

 

裏方仕事の天意からの愛を発揮して、表方仕事を楽しんで尽くしてまいります!