こちらでは、人間意識から離れ、神魂として、天意を体現していく自覚を育むセッションを提供しています。
仮の姿を脱いで、真の姿に戻り、本来の人型生命体の可能性を存分に発揮して生きていきましょう!と提案しており、本来の生命力を高める《真の目を開く、光の柱、全身感覚を磨く》練習の場として活用してください。
これは人類未聞のチャレンジですから、自ら先陣を切って実践していく意志が必要です。
誰かから教わるのは、エッセンス(真髄)を伝授してもらうのであって、その人に従うことではありません。
随時、先達からサポートを受けていますが、先達も現在進行形の実践者であり、立場は対等です。
査定で決める『価値』は、人間意識の概念ですので、元々、どれも素晴らしいのですから、どれも価値は同等です。
自我を昇華していくプロセスにおいて、自我を悪者・邪魔者扱いしてしまいがちですが、人は皆、内奥の中心に神魂の光があり、それを覆っているのが人間意識で、ひとつの個を構成しています。
どれも素晴らしい神の観点からすると、人間意識も、神魂も、価値は同等です。
ここで、古事記と肉体の働きから、表も奥も価値は同等について、お話させて頂きます。
多くの古事記の翻訳に見られるように、言葉の意味を追っていると、表面的な解釈で展開していきます。
一方、古事記は暗号文書とみて、言葉の奥にある意味を読み取っていくと、内奥に触れる解釈で展開していきます。
真意を知ろうと探求していくなら、どちらも全体貢献となり、そこに優劣はありません。
表面的な解釈も、内奥に触れる解釈も、同等に価値があり、どちらが正しいも、誤りもないですし、良いも、悪いもありません。
また、肉体を『身体』と呼びますが、その名の通り、最初から、ずっと神働きしている御神体です。
傷が治る自然治癒力や、食べた物が栄養となり、残骸物として排出される消化のプロセスなど、肉体に『神を観る』のは難しくありません。
皮膚の構造をみると、表皮の奥には真皮があり、どちらも皮膚として機能するために必要不可欠です。
皮膚組織において、同等に役割を果たしている両者ですが、(目視できる)表皮が劣っていて、(目視できない)真皮が優れているでしょうか?
表も奥も同等が理解できると、人間意識と神魂に優劣はつけられなくなり、人と神の格差が消えて、自我の昇華がスムーズになります。
おしまいに、カルマの浄化・自我の昇華について、肉体の働きに重ね合わせて補足させて頂きます。
人体の表面を覆っている皮膚は、全身を洗い流すことによって、古い角質が剥がれ、新陳代謝が高まって、新しい皮膚に生まれ変わります。
人間意識は、神魂を覆っている古い確執ですから、丁寧に洗い流していく(浄化していく)と、新しい光の意識に生まれ変わります。
ただし、人間に執着していると、古い確執が剥がれず、新陳代謝が鈍り、過去の記憶を引きずって感情反応を繰り返します。