全てを愛する神性を発揮して生きるのは、本来なら最も自然な状態です。
与える喜びは、誰でも知っています。生まれたての赤ちゃんだって知っています。
以前、立ち合い出産の撮影を依頼されたことがあり、人は生まれるだけで喜びを与える存在だと知りました。
『喜びを与える』と『与える喜び』は、同時発生する、まさに損得を超えた神業です。
裏表一体のように、与えると受け取るは、どちらか一方だけでは存在できません。
誰かにプレゼントしたくなって、ワクワクしながら選んだ経験はありませんか?
そして、受け取ってもらえただけで嬉しくなりませんか?
もらった方も嬉しいし、あげた方も嬉しいのです。
喜べない場合もあると仰るなら、それは、エゴを使ってジャッジしているだけです。
与えるという表現が、上から目線な感じなら、渡すにすると、フラットですね。
わたしは、渡す存在であり、与えるのは自然な行動なのです。
同時に、受け取るも自然な行動であることをお忘れなく。
最初は誰かの気を引くためだったとしても、渡すことに慣れてくると、
相手がどこの誰だかわからなくても、特定の対象さえ必要なく、渡せることへの無上の喜びが溢れます。
意識の目覚めに興味がある方は、世界中にゴマンとおられます。
少し前までは、苦しみからの離脱目的で、エゴ丸出しで賑わっていましたが、今では、外側を追い求めることに違和感を覚えて、
「充分に味わい尽くしたから、先に進もう!」と、更なる成長(進化)を決意した人たちが増えているようです。
覚めた意識で生きていくなら、あなたの内面を観ていくことになります。
浮上するから、見つけられるし、見つけるから、手放せます。
ですので、どんな思考も感情も、浮上して、見つけられたら、祝・おめでとう!なのです。
思考や感情に同一化したままだと、気づくことはできませんから。
「あぁ、そういうことか」と、何を手放すのかがわかっておられるなら、誰のお墨付きもいりませんから、
日々、ご自身で観性・感覚を磨き続けて、増々、喜びの瞬間を広げてください。