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ダイオウグソクムシに学ぶ vol.2

 

新江ノ島水族館のダイオウグソクムシは新種だったという地元ニュースから、再び、ダイオウグソクムシに意識を向けてみました。

 

ニュース冒頭で〔長期間にわたって絶食することで知られるダイオウグソクムシ〕と紹介されていて、図らずも長期化しつつある断食状態の自らと重なって、「え?まだ続くんか?」とボヤきつつ、「セミの7日寿命説を覆す、実際に個体を観察して最長生存確認記録はアブラゼミの32日を調査した学生がいたのだから、自らが『食べない=不健康』説に風穴を開けるきっかけになったら面白い」と、窓越しに聞こえてくるセミのエールをBGMにして、頑張るでもなく、10日ほど淡々と不食期を過ごしております。

 

図らずも、水大辞典に掲載されていた『人は水と睡眠さえしっかりとっていれば、食べなくても3週間は生きられる』を着々と検証中です。

(当方は、浄水に加えて、糖分、塩分を摂取しているため、正確とは言えません。あしからず)

 

 

おそらく、多くの方が『食べないと痩せる』と思われるでしょうが、殆ど食べないダイオウグソクムシの体がしっかりしているように、当方も、さほど痩せておりません。

 

中学時代に故意による摂食障害で、健全な肉体の成長過程を乱す経験しておりますが、当時とは違うのは、そうせざるを得ない状況に置かれている(故意ではない)こと、そして、光の自覚をもって、カラダの基となるエネルギーボディ(光の体)を鍛えているところ。

 

新たな発見として、ぶっ倒れる引き金となった月のものと下痢が同時に来て、使い古された血液と便が まとまって排出され、浄水しか摂取していないのに、一時的に体臭が強くなったことからも、体内の浄化が進んでいる実感があります。

 

 

しばらく食べないでいると、どうしても肉体が軽くなります。

 

それだけでなく、日を重ねるにつれて、頭もスッキリして、思考がクリアになっていきます。

 

この変化から、ヘビやカニは、脱皮前には食べなくなる習性を思い出し、「この度の断食期間は、エゴを削ぎ落とす脱皮のプロセス」だと気づきました。

 

 

脱皮は、体の成長のため、古い皮を新しくするために行われます。

(ヘビは数か月に1回脱皮を行ない、カニは十数回脱皮して、稚ガニから親ガニになります。ダイオウグソクムシも脱皮します。)

 

以前、「人が甘いモノを好むのは、蟻だった頃の細胞記憶があるから」と教わって、妙に納得したのを思い出し、「ならば、甲殻類や爬虫類だった頃の細胞記憶があっても不思議ではない」と、人型生命体の意識とカラダの脱皮という健全な成長過程を、感動しながら味わっています。

 

何より「脱皮は命懸け」という事実を体験し、生物は、皆、全身全霊で生きているのを身を持って知りました。

 

 

もう一つわかったのは、食は、あくまでも生命力のサポーターであること。

 

水大辞典によれば、肉体の約7割は水分で構成されていて、水を飲まないと5日で死に至るそうなので、生命力は『水』と『光』で生み成されているカラダの基本に立ち返るいい機会を頂きました。

 

これらを踏まえて、《人は、光(氣)であり、水(実)である》と腑に落とし、ダイオウグソクムシは深海(神界)に生息し、光と水に満たされて存在している(ゆえに、食べなくても問題ない)ことがわかりました。

 

 

常識を用いると「10日以上、食べない」のはアウトかもしれませんが、自分で企画したものではなく、起きている現象の受容を貫いていたら、このような発見に至りました。

 

金欠と負傷で身動きが取れず、停滞しているように見えても、蓋を開ければ、成長の真っ盛り。

(私にとって、金欠も負傷も必要だった自覚アリ)

 

そのことからも、天意の後押しを実感しています。

 

 

光が活性化しているなら、一般に語られるポジティブな現象しか起きないと思われますか?

 

それが天地自然の愛に沿うなら、そうなっていくでしょうが、そもそも人間都合に限定されるなら天意ではありません。

 

百歩譲って そうだとしても、まずは、何もない更地にする作業が必須です。

 

エネルギーボディを鍛えていても、不自然な現象が起こるのは、カルマの傷・癖・汚れ(エゴ)が残っているからですが、内なる光が強くなるからこそ、ホコリのようなエゴもしっかり炙り出されます。

 

これは、現象に付随している人間感情によって、身体が萎縮し、緊張しますから、他者を欺けても、自分は誤魔化せません。

 

 

スピリチャルは、生命科学だから特殊ではないし、粉飾(エゴ)を洗い落として、本来の姿に戻るだけなので、特別でもありません。

 

スピリチャルに夢見るのも自由ですが、霊的な自立の道を進んでいくと、人生の総決算とばかりに不都合な現象が次々と浮上します。

 

我が強い程、強烈な体験を招くでしょうが、現象の大小にかかわらず、全部自分が創造している自覚があれば、素直に受け容れ、対応します。

 

 

おしまいに、このブログを継続してご覧いただくと、日常の動植物から、天意の学びを受け取っているのが伝わると思います。

 

それくらい、天意の体現は、普通で自然なことなのです。