16年前、イスラエルにて、【西の壁】に案内された時のこと。
※西の壁とは、エルサレム旧市街にある神殿の外壁の一部。『嘆きの壁』とも呼ばれている。
エルサレムは、3大宗教の聖地とされており、世界中から、大勢の観光客が集まります。
現地のガイドさん曰く、エルサレムを訪れる人々の中には、「我こそが、キリストの生まれ変わり」と思っている人が少なくないそうです。
当時は、揶揄するように話していましたが、あながち、勘違いしているとは言えません。
『特定の個人が』ではなく、『全員が』キリストと同質です。
あなたもキリスト、わたしもキリスト、もれなく全員に、キリストと同じ質の光が流れているのです。
但し、活性化していないなら、実感することもありません。
では、どうやって活性化しましょうか。
答えは、「24時間、それそのものになって生きる」
「我がキリストなり」と声高に叫ぶ必要もなく、粛々と、キリスト意識を高めていると、そのようになります。
キリスト意識は、愛の意識であり、神の意識です。
わたしたちは神そのものですから、最も自然な状態でいればいい。
もっと言うと、自然な状態とは、どこにも緊張や抵抗がない状態です。
ここで、質問です。
説明文を読んだだけで、本当に理解できますか?
「理解できる」と仰る方は、スルーして頂いて、殆どの方は「わからない」「難しい」のではないでしょうか。
それを、イエスという末端の一部が、奇跡と呼ばれる現象も含めて、ありとあらゆる可能性を体現してくださいました。
体験が、真の理解となることを、実践して伝えてくださいました。
彼は、自身の特殊能力を誇示したのではなく、誰もが持っている無限の可能性を示したのです。
社会常識や個人というフィルターを通すと、「あの人は特別」という分離思考になりますが、そのフィルターを外すと、誰かが示す体現は、全員の可能性だと認めることができます。