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カラダに備わっている才能

 

私たちの本質である神魂を伝える一端を担う端末として発信しておりますが、

 

「自我の延長で覚醒を求めておられる方には、読み進めることが出来ないだろう」と思うことがよくあります。

 

 

なぜなら、これまで嫌っていたモノ・拒否してきたコトに対して、直視する勇気・体験する覚悟を示しているから、

 

自我を通して読むと、胸が締め付けられたり、目を逸らしたくなったり、耳を塞ぎたくなったり感情反応に振り回されて苦しくなるでしょう。

 

 

必要に応じて神儀に参加しており、スピリチャルという響きに集う人々と触れる機会がないので、社会的な動きはよくわかりませんが、

 

あらゆる表現を駆使して、何度も何度も丁寧に噛み砕いている先達方の細やかな仕事ぶりに、『離乳食・介護食』が浮かんできて、

 

 

「消化・昇華しやすい状態で提供されたものを摂取しても、自分で消化(昇華)、吸収(受容)する力が弱ってる」

 

と知り、ビックリしました。

 

 

食べ物の消化は、意識の変容を促す上で、カラダに備わっている才能をお伝えするのに最適です。

 

吸収する力  ➡  受容する器

 

消化  ➡  昇華

 

皆さまもご存知の通り、消化して吸収する才能は、最初からカラダに備わっているので、特別な能力ではないし、一部の特権でもありません。

 

 

意識の変容のプロセスとなる受容と昇華の能力を高めるには、やはり本質を知り、認めることが必須です。

 

たとえ知識を得たとしても、根本で疑っているなら、才能があっても花開くことはありません。

 

 

このところの台風が爪痕を残していくのは、『自分の実績』という爪痕を残したい自我が投影されたもの。

 

本当に他人事ではないのですが、上の一文を「そうかもしれない」とスッと受け容れる方は、どれほどおられるのでしょう。

 

 

『日常の中にを神を観る感性』は、誰にでも最初からカラダに備わっている才能です。

 

でも、信じる・信じない(頭)で区別しているうちは、その才能が開花することはありません。