漢字の成り立ちのひとつに、モノのカタチから生まれた象形文字があります。
では、象形文字である『人』という字は、何で出来ているのでしょう?
昭和の学園ドラマの影響なのか、『人という字は、二人のヒトが支え合っているカタチ』説が、まかり通っているように見受けられます。
しかし、本当に そうでしょうか?
人 を眺めていると、『ヒトが歩いているカタチ』が浮かび上がります。

一人で歩く姿は、まさに独立したヒトを、そして、ヒトの自然な在り方を現わしています。
仮に、二人とするならば、『互いに寄りかかっている』ようにも見えなくはない、とか、
見たままで浮かぶイメージは『倒れ掛かっているヒトと、それを支えるヒト』になり、そのような画像を探しても、どこにも見当たらないし、
かろうじて、こんなイラストをアレンジしてみるも、

不自然且つ違和感しかないし、「二人設定には無理がある」という結論に達しました。
もし、あなたが「著名人や有識者が実しやかに語る事や、大勢の意見こそ信じるに値する」と思っておられるなら、
意識の覚醒を決意したつもりでも、人間プログラム(自我中心)でいることを選択してます。
ここで、お題をもう一つ。
『助け合う』という言葉に、どのような解釈をつけますか?
共に栄える全体意識から観た『助け合う』は、「互いに、自分のベストを提供し合う」です。
本質である神魂そのものになって、今この瞬間のベストな発想・行動を採用し続けるなら、常に愛と感謝と祝福で生きています。
わたしたちの本質ですから、外から獲得したり、拝借するものではありません。
どんなに頭が「記憶にございません」と訴えようが、ただ忘却しただけですから、
「本質を思い出す」と決意して、自覚し続けていれば、必ず、カラダの感覚で理解できます。
共通認識として出回っている言葉の意味は、よくよく観てみると、本来の意味からズレた解釈を採用していることが少なくありません。
どんなモノコトにも、意味付け自由だとしたら、あなたは何を採用しますか?
今、観じていることが、そのまま天へのお返しとなり、空間全体に広がっていきます。