エゴ・自我は、その役割を全うしているだけ。
ですから、天意から観れば、どのようなカタチであれ良いも悪いもございません。
そして、万物の源である全母たる虚空は、エゴ・自我の体験をしたかったのだから、何一つ否定していません。
人の親だって、子が自己主張をするようになると、自我の芽生えに「子の成長」を感じます。
健全な成長過程として、自我の芽生えを祝っておきながら、「私の霊的な成長を邪魔しないで。もう必要ないから、とっとと消えて。」と自我を呪うのは、どうみても万物を活かす全体意識ではありません。
倫理的に非道い言動や思考に対しても、差別なく、すべての自我・エゴの働きを敬い、感謝することに対して、「他者から善人に見られたいし、自分は良い人間だと思いたい」者は、強い抵抗を感じるでしょう。
でも、そこに祝い残しをしたままでは、いつまで経っても歓びの光に還ることができません。
もちろん、例外はありません。
リスペクトするには、対象を認識する必要があります。よって、エゴから離れているのが基本です。