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まやかしの終焉

 

先達が公の場で「災難としてきたことを、感謝で喜んで受け容れていくことが受難である」と、受難のワークの必要性を説いておられ、

 

これを聞いたら怯むであろう事実を、スピリチャルに興味がある多くの人が集まる場所での発信に、まやかしスピリチャルの終焉をみました。

 

 

もちろん、どれを選ぶかは自由意志です。

 

本気で魂の声を聴こうとするなら、有名で人気があっても、的外れなものは見抜けますし、

(的外れとは、自らの求めるものとは違うのであって、間違いではありません)

 

たとえ的確に指導するセミナーやセッションを受けても、それを基点とした日々の地道な精進を怠るなら、変容するわけがないので、

 

先導選びに執心するよりも、感覚的に「これいいかも」とピンときたものを選んで、素直にやってみるといいですよ。

 

 

本気で実践していくと、おそらく例外なく金銭的なスッカラカンや借金が膨れ上がる体験があるので、

(なぜなら、天意に沿って使える神性を育てるため。)

 

値段に引っかかって躊躇するなら、それは腹が決まっていない、準備が整っていない合図ですから、それでいいと思います。

 

やりもしないで、アレコレ正当化するが自我の特徴で、「これは自我の声」と認識しつつ、それを選んでいる自覚があれば大丈夫です。

(自覚があるなら、そこから離れる選択も出来ます)

 

 

冒頭に示したように、まやかしスピリチャルは終焉となり、

 

これまで災難としてきたこと、嫌って避けて、否定してきたモノコトを、感謝で喜んで受け容れていこうとする姿勢を求められるので、

 

自我が欲しがるハッピーやラッキーに釣られず、心の準備が出来ている状態で始められるのは、後発体のアドバンテージだと思います。

 

 

いくら人知を超えた天意を観じる体験があっても、各種セミナーを受講して頭でわかったつもりでいても、

 

実践していると、常に新しい視点からの発見の連続で、それまでの理解は浅かったと認め、理解の深まりに終わりはないと思い知ります。

 

ですから、常に精進していく姿勢が求められます。