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はじめに自覚ありき

 

最初に『自覚』なくして、何も始まらない。

 

 

私たちは光の存在(神魂)である自覚

 

それそのものになる自覚

 

全てを愛おしみ、全てに感謝し、弥栄を祝う全母の自覚

  

自由意志で選択し、その全てに責任をもつ自覚

 

 

まずは、その基本姿勢を整える

 

そこから、あらゆる動きが発生します。

 

 

幼稚園児が卒園して、小学生として過ごしているうちに、その自覚が芽生えるように、 『自覚する』のは難しくありません。

 

ただ、卒園しただけでは、小学生の自覚は生まれません。

 

よって、人間意識から離脱しただけでは、神魂としての自覚は生まれようもないのです。

 

 

20年近く、日本を中心に世界各地の幼児~中学生と関わってきて、「自分は本当に小学生なのか?」と疑う小学生はいないように、

 

医学でも、宗教でも「人は魂の存在」と認めているのに、「自分は本当に神魂なのか?」と疑う者もおられまい。

 

 

慣れない環境にグズることがあっても、「いつまでも幼稚園児でいたい」と固持する者はいません。

 

たとえ、不登校になっても、未就学児程度の知能とされる成人であっても、相応の変化に対応されています。

 

 

それに、小学生として振舞っていると、自然と板についてくるように、神魂として振舞っていると、自然と板についてくるので、

 

なにはともあれ、その根底に『〇〇としての自覚』は欠かせません。

 

 

もちろん、人間としての自覚を手放したくないのなら、その自由意志を尊重するのみ。

 

自らの在り方を明確にして、その全てに責任をもって言動することは、お忘れなきよう。

 

 

人間意識の癖が強すぎて、形状記憶特性が働いているだけとわかれば、その記憶を解除すればいいのだから、迷いも躊躇いも生じません。

 

その癖は、人類総出で何万年もかけて蓄積してきた自覚があれば、一生やるのは当たり前だし、全体貢献ということも理解します。

 

 

もはや、悟り願望・覚醒願望を含めた願いを叶えるスピリチャルからは、卒業せざるをえないのです。