新しい政党の誕生が、全体貢献の初心に還る運びとなり、そこから更に新発見がありました。
霊的成長に踏み出すきっかけとなったフィリピンにて、スモーキーマウンテン(ゴミの山)を訪れた際に、その周辺に住む人々の底抜けの笑顔に圧倒された記憶が蘇りました。
当時は、「こんな劣悪な環境に住んでいて、なんで、そんなに あっけらかんと笑えるの?」と、謎でしたが、スピリチャルを学ぶことで、「表層がゴミの山でも、その根幹は神域である」という、地球にとっては、最初っから、普通で当たり前の気づきが起きたのです。
単に、表面が汚れているだけで、その奥のベース(素・元)は、いつだって、どこだって、神域なのだと。
人は、「普通に存在しているだけ」で、それを体現できるのだと。
もちろん、ここでいう「普通」とは、今ここに存在している歓びを実感している状態です。
その人から話を聞いたわけではないし、そもそも言葉が通じないので、話されても理解できませんが、このシチュエーションでは、互いの存在を祝う笑顔だけで充分でした。
(タイトル上の『偏見を解く』をクリックすると、こちらの記事見出しにて、実際の写真をご覧いただけます。)
カルマの浄化からもわかるように、表層が汚れているなら、浄化すれば、本来の姿が現れます。
これは、カルマの浄化を知らない方でも、普段から掃除していれば、簡単にイメージできると思います。
私たちは、人間意識を使って、神氣を汚してきただけだったとわかったなら、まずは、今いる場所を神域と認識していくと、どこにいても神域になってしまいます。
すると、自分の居場所に関係なく、どこもかしこも神域だった!と気づき、パワースポットと呼ばれる場所が特別ではないと わかってしまうので、無意識にかけていた色眼鏡が消えてしまいます。
気づいた瞬間に消えてしまうため、自分で外す作業がなくなり、エゴによる履き違いが出来なくなります。