《大勢の人が不満や愚痴を言いたくなる状況をも感謝するようになる》は、メンタルがタフになるわけでも、我慢強くなるわけでもありません。
『我慢』は、自我があるから成立します。
思考パターンや・感情パターンを体験済みにして、自我が愛に昇華されたなら、『我慢』という概念はなくなります。
タフになるというよりも、モノの見方や対応が、しなやかになるという感じ。
どんなに理不尽だと思っても、自分が出したモノしか返ってこないと知っていれば、
全部、自分が創り出した自覚があるので、不満や愚痴を言いませんし、現象への対応も「今のベスト」を尽くします。
その言動が、どんなに陳腐に思えても、自分が出来る最善であるならば、素直に「これでよし」と思えます。
迷惑かけるような状況になったとしても、そこから逃げずに、ベストを尽くしていくならば、必ず道は拓けます。
もし、ベストを尽くした結果、消失したり、崩壊するなら、それがベストだったということです。
◎ 経済であれ、人間関係であれ、健康であれ、プラスもマイナスも「これでよし」
これらを実際に体験していくと、『マイナス』は、単なる概念でしかないと理解します。
では、経済的なマイナスを借金とします。
その借りたお金で、いろんなモノコトが体験できますから、物理的なプラスになっても、マイナスにはなりません。
人間関係のマイナスは・・・例えが思いつきません。
身内が他界していますが、カタチとしては存在しないけど、マイナスではありません。
特定の関係性を重視しなくなると、出逢った方と親しみで関わるので、プラスもないし、マイナスもありません。
肉体的なマイナスを病気とします。
病気は「自我が強くなっているよ」というお知らせです。それに気づくと、プラスでも、マイナスでもないのがわかります。
数値や見せかけのプラスとマイナスに一喜一憂しなくなると、素直に「これでよし」と思えます。
◎ 他者の成功を、自分のことのように喜び祝う
表面的な祝辞は贈れても、他者の成功を心から祝い、喜べる者は少ないとお見受けします。
かく言う私もその一人でした。
やれば出来る優等生だったので、自我がやろうとする癖が強く、嫉妬や負けん気が先に立ってしまい、なかなか腑に落ちませんでした。
しかし、自我の癖が強くても、「気づいていこう」とする意志を貫いて、他者も自分の一部だと腑に落ちたら、素直に喜べるようになります。
プラスもマイナスも対等であり、他者の成功を心から祝えるようになってくると、物理次元の巡りも豊かになっています。