朝の掃除中に、
神への冒涜とは、神の身体(神体)を授かりながら、神の働きをしないことをいう。
ときて、「たしかに。」と頷いた。
神の働きとは、全てを愛し、感謝し、祝福すること。
日常の全てを、愛から行動すること。
人間意識であっても、そういう瞬間を体験している方もおられましょう。
なぜなら、それが わたしたちの本質だから。
でも、これからは、全面的に天意から生きるのです。
難しく考えないでくださいね。
居住空間に感謝しながら、掃除してみたり、植物の状態を観察して、適宜 対応(水やり・枯れた草とり)してみたり、
笑顔で元気に挨拶してみたり(人に限らず、姿の見えない鳥の声と対話したっていいのです)、なんでもOKです。
「これはOKだけど、それはダメ」と差別する癖は、社会全体に まかり通っていますから、些細な瞬間を蔑ろにしないでください。
冒頭のメッセージをはじめ、ふと察知するフレーズが、先輩方の内容と似ているため、「真似しているのでは?」と思った時期がありました。
しかし、「上は、全員に公平に伝えている」という先達の一言を受けて、
「やっぱり、「正当化して、サボってんじゃねーよ」が、本音だったんだ」と確信しました。
上からのメッセージは、どなたさまにも公平に伝えられているのを認めて、
誰かを崇めるのをやめて、今一度、重箱の隅をつつくような発想になっていないか、意識を向けてみてください。
もし、よくわからないのであれば、ひとまず、思考から離れて、身体の感覚だけを観ていきましょう。
「晴れやか・伸びやか」
「縮こまっている・緊張している」
さて、今のカラダの感覚は、どちらでしょう?
「どちらとも言えない」のであれば、もっと丁寧にご自身を感じてください。
そうやって、ずっと中途半端をやってきたと認めて、しっかり内観しましょう。
光の呼吸は、緊張しているカラダの感覚が、開放されていくのがわかるので、「晴れやか・伸びやか」な神体感覚が、全身で認識できます。
稀かもしれませんが、一気にエゴが抜け落ちる感覚があっても、それがエゴの一時喪失だった場合は、いつか冬眠していたエゴが蠢いてきます。
写真家時代は、職業的な仕事はしておらず、意欲的に活動していく中で、経済・人脈・機会(現地訪問・展示・新聞取材など)に恵まれて、
「よくわからないけど、すごいことが起きている」と、無我ではあったけど、「意識」は無自覚で活動していました。
無我であっても、意識はまだ夢の中という、まさに無我夢中の状態では、自我は浄化されていないので、必ず向き合う時が来ます。
ですから、意識的に カルマの浄化・自我を昇華する作業は、絶対に必要です。