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『ありえない』はない

 

最年少でタイトルを獲得し、『初戴冠』を掲げてインタビューに臨んだ高校生棋士は、次々と「こうあるべき」を覆す将棋を繰り広げて、周囲を驚かせています。

 

棋聖戦・五番勝負の第二局での一手について、

 

「金の下の歩というのはあり得ない感覚」

 

「料理にたとえると、味噌汁にバナナとかトマトとかチョコレートとか全部入れたような感じ」

 

という師匠の解説からもわかるように、想像を絶するというより、想像したくもない取り合わせであり、相手はもちろん、本人にとっても「オイシイ」手ではないのが読み取れます。

 

 

従順に師匠についていく姿勢でいたら、師匠にとって「ありえない」この一手は出せません。

 

師匠からの学びを踏まえて、その先へ進む意志から、舌が慣れている美味ではない一手を差し出すのは、師匠や他人の目を気にしていたら、大舞台で実行できるはずもなく、どれほどの勇気がいったか想像に難くありません。

 

そして、これは将棋の勝ち負けを超えた『ありえない』は単なる思い込み・幻想であると証明された一幕でもありました。

 

 

また、大逆転勝利した王位戦の第二局では、元プロ棋士の石田九段が、

 

 「藤井君の玉の生命力は恐ろしく強い」

 

 と解説しており、彼の将棋は、駒に生命力が宿る、まさに神業です。

 

 

マスメディアでは、崇め奉る『神』の乱用は相変わらずですが、分野や業界は関係なく『ありえない』はない が実証されているのを認めて、私たちも日常生活の中でも実践できます。

 

これまで、書籍やインターネットを通じて、国内外の意識の目覚めを説く覚者の発信を沢山見てきましたが、信頼する先輩方に共通するのは、スポーツに例えるなら、彼らは「パサー(パスを出す人)」であり、華麗なシュートでゴールを決める(=魅せる)発信ではないということ。

 

パスを受け取ったら、それを活かしていくのが、受け取った者の仕事です。

 

これは、サッカー、ラグビー、バスケットなどの球技を見れば一目瞭然です。

 

 

毎回、見事に的確な気づきのパスを送ってくれるので、「すごーい」と見惚れて、そこで止まってしまう方もおられるでしょうし、そのパスが欲しいがために、講習やセッションを受けるなら、受け取った自分に酔い痴れて、そこで終わってしまいます。

 

ですから、受け取る側が「活かしていくぞ」という姿勢でないと、どんなに素晴らしいパスを受け取っても、自滅してしまいます。

 

 

どのような分野であっても、そこに「発展しよう!活かしていこう!」とする天意(愛)がないものは、育み活かしていく受け取り手には渡らないため、自ずと滅していきます。

 

 

まずは、受け取る姿勢(活かしていく氣)を整えて、全体へ放出している真を理解するパスを、自ら受け取りにいって やってみる。

 

観察と行動を実践していると、「そういうことか」と腑に落ちるのです。