このブログを継続して お読み頂いている方なら、『神』に対する偏見は、きれいサッパリ洗い流されていることと存じます。
『神』=歓喜・感謝・祝福・慈愛です。
神意識になってしまうと、永遠無限の全体繁栄を祝う(他者の弥栄発展を祝う)のが常になるので、個人の幸せを追い求める方にとっては、「絶対になりたくない」でしょう。
神そのものとして生きていると、社会常識に則った『個人的な幸せ』に興味がなくなります。
感謝と祝福で、その時々の素直な選択をするので、特定のお気に入りは薄れていきます。
もし、そこが引っ掛かるのであれば、純粋にスピリットとして生きるスピリチャルは、あなたがやりたいことではないかもしれません。
今一度、この地球に生を受けた時の魂の意志を思い出してください。
「何をしたくて、生まれてきたのか」を、一人静かに内なる神に問いてみてください。
意識を合わせていれば、必ず答えが返ってきます。
「わからない」なら、わかるまで やり続けてください。
最初はピンと来なくても、感覚でわかるようになっていきます。
わかるようになったら、そこからがスタートです。
だから、スピリチャルに終わりはありません。
永遠無限というのは、いつまでも、どこまでも、常に、その状態であること。
「永遠無限に全体繁栄を祝う」とは、いつまでも、どこまでも、常に全体繁栄を祝っている状態です。
「永遠無限に愛する」とは、いつまでも、どこまでも、常に愛する状態です。
つまり、いつだって『今』そうなっているってことです。
創造主の分魂である人型生命体には、永遠無限に全体調和で発展しようとする『魂の意志・天意』があります。
「そのような記憶はございません」と主張しても、人型生命体であるならば、これは全員共通です。
これまで人類総出でサボってきたのですから、最初は根気が必要です。
でも、意識を向けていると、身体で光で満ち足りた感覚が培われていきますから、慣れてきたら「それが普通」の状態になります。
ですから、焦らず、腐らず、実践していきましょう。
この変容の感覚は、正直、言葉に尽くせません。
一億の言葉を並べられて、全然 理解できなくても、まったく気にしなくて大丈夫。
体験すると、一気に腑に落ちます。
だから、実践、実践、また実践なのです。
永遠無限の発展ですから、やればやるほど気づきが起きるし、理解が深まると その奥が観えてくるので、終わりはありません。
そのプロセスは、いつまでも、どこまでも成長していく喜びとともにあります。
もし、ずっとやり続けるのがイヤなら、それはなぜ?
そんなにも、成長したくないのは、なぜ?
赤ちゃんの頃は、誰からも教わらないのに、寝返りをして、ハイハイして、立っちして、歩き始めたのは、「何がそうさせた」のでしょう?
そんな普通の成長を、親は大喜びしてくれましたね。
人型生命体の霊的な成長も、この成長と同じです。
そんな普通の成長を、魂の親である全母は大喜びしています。
今一度、ご自身の内側に問いかけてみてください。
答えがわかるまで、一人静かに向き合ってください。
肉体の内奥にある「息づいているもの(=いのちの鼓動)」を感じてください。
「スピリチャルに生きる」のは、本当のあなたがやりたいことですか?
それとも、Aさん個人がやりたいことですか?