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『飢え』を敬い、感謝する

  

ここでは、一貫して《人間が忌み嫌ってきたモノコトを祝う、敬う、感謝する》天意の基本をお伝えしております。

 

「すべて素晴らしい」と祝福するので、例外は一切ないのです。

 

どんなに凶悪だろうが、残酷だろうが、醜かろうが、全てが敬い感謝し、祝福する対象です。

 

今回は、私の盲点となっていた要素を祝う機会があったので、ご報告いたします。

 

 

実家が飲食店だったこと、捨て身で未知の土地に飛び込んでいった海外活動でも、現地の方々に御馳走して頂く機会が多かったこと、そして、誰かの世話をしている間は、良好な食生活に恵まれていたこともあり、無意識に「私は、絶対に食に困ることはない」と思っていました。

 

そして、今、食を追求していくなかで、核心の理解に至りました。

 

 

経済的スッカラカンとは「貯蓄がない・現金がない」状態のことですが、支払い方法が多様化しているため、現金がなくても問題ありません。

 

それでも、「あと数日で(最優先の)食料が買えなくなる」危機が迫ってきた時、朝の目覚めとともにハッと初心が蘇りました。

 

 

『飢え』敬い、感謝する

 

 

この、誰もが忌み嫌う わかりやすい要素を祝うことが出来ていなかったと気づき、その危機的状況は、なるべくしてなっている(=自らが創り出している)のだとわかった瞬間に、全身の氣が晴ればれして、拍手しながら起床しました(笑)

 

 

タンザニアの荒野やタイやフィリピンのスラムなど、飢えと背中合わせの土地に行っているのに、理解が起きたのは、食が飽和状態の日本。

  

どこに行っても食に恵まれてきて、ましてや、食の職に就いている私にとって、『飢え』は、まさに盲点でした。

(ちなみに、賄いや社割などの優遇がない職場です)

 

 

このように、肝要なことを思い出させるべく、危機的状況に置かれることがあります。

 

しかし、覚めている状態なら、必ず、気づき、理解を深める機会となり、更に、天地自然との氣綱が太くなります。